続・建具屋さん訪問記
前回の古田建具店訪問記の続きです。
水俣エコハウスの建具についてだけでなく、昔の水俣の建具屋さんのことや建具全般についても聞かせてもらえました。
興味深かったのは、水俣のチッソは戦前からビニールを作っており、それをもらってきて網戸に使ったというお話。
「それまでは真鍮の金網(上写真)しかなかった。チッソがあったから水俣はそういうのも早かったもんな」と、お父さんが教えてくれました。
チッソの仕事が町の建具屋さんにもつながっていた事実に、水俣の歴史を感じました。
お父さん思いの古田さん、親子で助け合ってこられたのが分かる姿が印象的でした。
台の上で取り掛かっているのは、現在多い「フラッシュ戸」の骨組み。
この両面に合板などをはって仕上げます。
だけど、やっぱり日本の杉かヒノキを使って丁寧に作られる建具との違いは歴然。
個人のお宅に頼まれたという、杉の赤みと白みが美しい板戸です。
「木製建具は防犯性が弱かったり、腐食があったりするけれど、
体にやさしいというのは間違いない。
水俣エコハウスの言う、自然と共生して「足るを知る」と同じだよね」
これから何十年と、誰かのお家で使われていくんですね!
材料の板は家の裏で乾燥させるそうですが、そのとき、木の根元側を上にして立てかけるそう。すると木の中の水分が頭から抜けていく。
そして、水分と一緒に表面のアクも抜けていくので、雨に濡れたほうがいいそうです。
中国からの桐などは白くきれいにみえても、このアク抜きをする手間をかけてないので、あとから黒ずんでくるそうです。
なんでも、ひと手間があとから差を生んでくるんですねえ。
加工も同じで、ホゾを二枚にするか一枚にするかで、何十年後に製品に差が出てくるそうです。
見えない部分こそ手を抜かず、大事にする・・・耳が痛いような!
機械化以前は、道具も用途や自分に合わせて作っていたことは、大工さんでもどの職人さんでも同じですね!すごいなぁ。
最後にお願いした、素敵なツーショット^^
昔は建具屋さんというものはなく、大工さんが全部していたそう。
それから分業され、水俣の建具店も往時は10軒あったそうです。
今は半分の5軒に減ったそうですが、仕事に対する古田さんの熱心で丁寧なお話や、お父さんの淡々としたお姿に、これからも変わらない、大事なものを教えてもらった気がします。
最後に!こちらエコハウスのトイレットペーパーのホルダーは、竹の曲りを生かした古田さんの作。
眠る間もなく働いたという工期の最後に作られた思い出の品。
来館時は、こちらも要チェックです!
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